第43回
三四郎と歩く本郷
今日は、小説片手に本郷キャンパスを歩いてみたいと思います。持っていくのは夏目漱石の『三四郎』です。この作品の版権はもうとっくに切れていますので、ネット上で全文読むことができます。スマホさえあれば、いつでもどこでも目の前の景色と本文を見比べながら気軽に文学散歩を楽しめるのですから、便利な時代ですね。

さて、熊本の高等学校を卒業して帝国大学文科大学進学のため東京に出てきた小川三四郎は、到着早々、知人の親戚にあたる野々宮君を訪ねて本郷キャンパスにやってきます。ここを訪れるのはこのときがはじめての様子。キャンパス北端の弥生門から構内に入った三四郎は、理系の実験中の野々宮君に会い、それから「池」に向かいます。この池こそがずばり三四郎池。正式名称は「心字池」なのですが、この作品がヒットして以来、通称としてそう呼ばれることになりました。

<<横に照りつける日を半分背中に受けて、三四郎は左の森の中へはいった。<中略> 三四郎は池のそばへ来てしゃがんだ>>

写真1
三四郎がしゃがんだのはおそらく写真1のあたりではないかと思われます。三四郎池周辺はいまでも森のようになっていますが、「東大生協」(第32回の記事をご覧ください)と「濱尾新先生像」(第9回の記事をご覧ください)の中間あたりの木立が途切れたところを入ると、この場所にたどりつきます。「どうしてここだとわかるの?」という声が聞こえてきそうですが、続いてマドンナ役の美禰子が登場するところを読むと、位置を特定できるのです。

<<ふと目を上げると、左手の丘の上に女が二人立っている。女のすぐ下が池で、向こう側が高い崖の木立で、その後がはでな赤煉瓦のゴシック風の建築である。そうして落ちかかった日が、すべての向こうから横に光をとおしてくる。女はこの夕日に向かって立っていた。>>

写真2
写真2に写っているのが、「左手の丘」から下ってくる道です。写真1の地点から撮影しました。当時はここまで整備はされていなかったのでしょうが、「高い崖」や「木立」の雰囲気は残っています。あいにく「赤煉瓦のゴシック風の建築」は関東大震災で壊れてしまいました。

このあと美禰子は、池のところまで降りてきて、手にもっていた真っ白な薔薇を三四郎の目の前に落とすという思わせぶりな行動に出ます。さて、二人の関係やいかに! 気になるところですが、ここは禁欲的(?)にこの日の三四郎の行動を追うに留めておきましょう。

池の石橋のところで三四郎は野々宮君とまた合流し、二人は「ベルツの銅像の前から枳殻寺の横を電車の通りに出」たとあります。ちょうどキャンパスの南端にある「龍岡門」(第33回の記事をご覧ください)のあたりから構外に出たということになりそうです。いまでも枳殻寺(麟祥院)は龍岡門の東側に立っていますので、当時の雰囲気を感じることができます(写真3)。

写真3
以上、キャンパス北端の弥生門から三四郎池を経由して南端の龍岡門に至る、三四郎散歩でした。尚、三四郎池の周囲は自然が溢れていて、ちょっとしたハイキング気分が味わえるのですが、ところどころ足場が悪いのでご注意ください。スマホに熱中しすぎたり、美禰子気分で気取って歩いたりしていると思わぬ怪我をします。それを「三四郎の呪い」というそうです(嘘です)。