東大探検隊

―第2回― 嗚呼、コマリョー

 駒場キャンパスを真横につっきる銀杏並木の東側に、かつては駒場寮という学生寮がありました。いまは生協や学食の建物がある一角です。壁面が崩れ落ちてきそうなところにぐにゃぐにゃと蔦がからみつき、入り口のあたりには「○×粉砕!」といったような立て看板もあったりして「汚いなあ」というのが僕の第一印象でした。寮費は月数千円とたいへん安く、クラスメートの中にも寮生が何人かいました。

 僕が入学した1998年当時、すでに大学当局は廃寮を決めていて、入寮だけでなく学生の立ち入りすらも禁止していました。政治系団体・サークルの拠点にもなっていて、学外の人も住みついているとか、大学側の管理がきかない状態であるとかいうのが廃寮の理由だったのでしょう。それでも駒場寮自治会が大学側の送電停止などといった措置にもめげず果敢に寮の運営を続けている、そんな時期でした。

 そういう運動に無関心だった僕らは、今考えると申し訳ないくらいに「コマリョー」を醒めた目で見ていました。駒場キャンパス内には、ニワトリが放し飼いにされていたのですが、あれを寮生がときおり絞めて鶏鍋にしているんだぜとか、あいつらは野良猫も食っているらしいとかいう噂をささやきあったりしていました。また、寮には臨時の宿泊も可能で、学生の中にはラブホテル代わりに使っているのもいるらしいという話もあったのですが、これはもしかしたら本当だったのかもしれません。

 僕も一回だけ「コマリョー」に入ったことがあります。98年の5月くらいにクラスの会議で寮内の部屋を使ったのです。どんな感じだったかは忘れてしまいましたが、内部は冷え冷えしていたこと、壁にはあちこちに落書きがあったこと、会議室になぜかピンクのラッカーで塗られた段ボール製のゴキブリのオブジェ(全長30センチくらい)が置かれていたことなんかを覚えています。

 いまあの頃のことを考えると、「コマリョー」のあの汚らしくて、混沌としていて、でもアツい感じが駒場らしくてよかったなあと思います。結局、大学の強制措置で2001年に駒場寮は全部解体されてしまいました。そのあとにいまはおしゃれなコンクリート打ちっぱなしの建物と芝生の広場があります(写真1)。そしてその芝生の一角に、かつての寮のアーチの一部が記念碑のように置かれています(写真2)。



写真1
写真1









写真2
写真2

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