東大探検隊

―第11回― 赤門のヒミツ

第六回で東大を代表するものがなかなか見当たらないと書きましたが、訂正です。一つ忘れてはいけないものがありました。赤門(写真1)です。

東大のことを指して赤門と言うこともありますし、東大関係者が不祥事を起こすと「赤門のバカモン」と書かれることもあります。良くも悪くも赤門は東大のシンボルだと言えそうです。安田講堂は近くから見ると意外と小さいので「あれっ?」と思うのですが、赤門はこの手の日本建築の門にしては大きく、しかも鮮やかな朱色に塗られていて視覚的にもインパクトが強いので大学のシンボルとしての効果は抜群です。また、門本体の脇には門番の詰め所も残されており、また古風な白壁がそこから延びているので、赤門の前に立ち止まると江戸時代にタイムスリップしたような気分を味わうこともできます。

ちなみに赤門が建てられたのは1827年。現在の本郷キャンパスに当たる場所は加賀前田家の江戸上屋敷でしたので、かつて赤門は前田家の門でした。当時、将軍家の娘が大名家に嫁ぐ場合に、大名家のほうで朱色の門を造るという慣習があったとのことで、この赤門も前田家に11代将軍家斉の娘を迎えることになった際に建造されたとのことです。

そんなおめでたい由緒を持った赤門ですが、門を裏側(つまりキャンパスの内側)から眺めると一つ気づいてしまうことがあります。写真2をご覧下さい。内側から見ると門番の詰め所は赤く塗られておらず、木の茶色い地肌がそのまま露出しているのです。写真1のように表側から見ると、きちんと赤く塗られているのにも関わらずです。これはヨソ様の目にあまり触れないところについては倹約したということなのでしょうか? そのあたりの事情はよくわかりませんが、赤くない赤門の一部があるというのは、赤門のちょっとしたヒミツです。





写真1
写真1








写真2
写真2

前へ次へ
トップページへ


Copyright(c)ワイズオフィス/Y'sOffice Co.,Ltd. All Rights Reserved.